精神の帰郷
短い27年の人生の中でも「師」と呼べる人間が僕には4人いる。これは多いのか少ないのか分からないが、多いほうなのかな。
結構、今まで数多くの職種を経験してきた。
ハンバーガーショップ店員、お好み焼き屋店員、郵便配達員、調理見習い、某テレビ局報道部、引っ越し屋、土木作業員、デザイナーなど、歳の割には結構多い。
そんな中で、単純に仕事を教えてくれる立場である人以外に、「人として生きることの大切さ」を教えてくれる「師匠」
基本的に、僕の仕事のスタイルは哲学の集合体だ。
具体的な仕事の内容を除く、本質的な「作業」の点ではスタンスは変わらない。
上記にあげた職種でも、「自分以外の誰か」に提供するための「作業」であることには違いない。
つまりそれらは、「自分が人として生きる糧」であり、つまり「自分を人として生かしてくれる存在」なのだと思う。
多少飛躍するが、僕は仕事をすることで「生きているor生かされている」ことを実感し、「人を喜ばせる」仕事が好きだ。
今日も、同僚がウチに来た。「何かをあげたり、提供したりすること」で、自分を切り、与える。
別に、恩着せがましい事ではなくって、そうすることで「自分」をその人の中で存在するのが「自己確認」の手段なんだろうな。(あの〜、今日家に来た人、誤解しないでね)
これは、おばちゃんが近所の住人に「お裾分け」をする行為に近い。間違いなく、母の遺伝だ。
仕事も、僕の仕入れ材料は「僕から生まれるアイデア・表現」なので、実は「お裾分け」と非常に近いものがある。
今日も、そんな僕に「自分がして欲しいことを相手にしてあげなさい」ということを教えてくれた「師匠」と再会。
非常に気分の良いものだ。
一方的な感情だが、袂を別った間柄でも、「縁」という「日本人の最高の言葉(=なぜなら、英語に「縁」に当てはまる言葉が無い。)」によって、奇妙にも通ヅルトコロ、アリ。ということだ。
非常にシンプルな言葉を頂いた。「石の上にも3年」そうだ、その通りだ。
27歳だからって関係ない。シンプルだ。
「我慢する」ということだけではなく、「新しいことを始めたら3年は前を向いて戦い続ける」という意味に感じ取った。
数十歳も歳の離れた「師匠」と共有できる価値観。
そんな「師匠」の切り端の言葉を胸に、明日もがんばろっと。
あ、そんな中、緊急指令が。
大阪の某所にたたずむ「暴れ闘牛」を発見(写真)
しかと収めました。
どっからこんなもん出てくんだ?
あ、そういう意味では、音楽もクルマも、僕の哲学とは一線を画した「超自分的かつ自己完結型」のもんだな。