目標・手段・理想 …現実。
皆さんは、小さな頃何になりたかったですか?
僕はレーサーや警察官。芸人やCGクリエーターやミュージシャンなどでした。
子供の頃は常にその頃の旬の職業に憧れていたものです。
で、現状を顧みるにあたって、現実という秤が歳を追うごとに大きな壁となって立ちはだかってきたのではないでしょうか?もちろん僕も例外ではありません。
よくテレビなどで「〜のサラブレッド」的な形容詞を宛てがわれていることがありますが、そんな未来を約束されたようなこと、この世にはあり得ないことです。一体、何をもってしてそんな無責任な形容をするのか理解に苦しみます。
自分がしたいことをするために、昨今では「学歴」だとか「エリート」だとかウンコ以下(失礼)の無駄でナンセンス極まりない刷り込みが平然と行われているような気がします。もちろん、それは勉学のジャンルに限らず。
僕は比較的自由に育てられたので、そうされた人たちの気持ちは分からないかもしれませんが、少なくともやっていいことと悪いことの教えは人並みに親から得てきたつもりです。
僕はいつのときも「子供」であったときの純粋な気持ちを大切にしたいと思います。「3つ子の魂、百まで」とはよく言ったもので、子供の正直な欲求。子供でなかった人はこの世には存在しない訳ですから。
「勝ち組」「負け組」なんて、ゲロ以下(失礼)の言葉にするだけで吐き気のする言葉が平然と公共の電波を通して我々の耳や目に入ってくる当たり前の世の中に、辟易としてしまいますが、過度の親の期待が子供の将来を束縛しているだけのような気がしてなりません。
ここで話は本題に戻りますが、皆さんは、小さな頃何になりたかったですか?
今、それに向かって頑張っている人は、とても恵まれていると思います。僕も、自分自身がそうであることにそう思います。
よくする話があるのですが、その目標に向かって自分がそれに向かっていける明確な手段を持っているかという話です。
例えるなら、ある目的地に向かうため、どういう交通手段があるか把握しているかということです。
そして、自分はどこの交通手段を使って、どの切符を買って、はたまた車で、もしくは歩いて行くというような手段を選択するかということです。
切符を買うお金がないならお金を貯めなきゃ行けません。車でしか行けないところなら車を買わなきゃ行けません。歩いて行くことも可能ですが、それでは遠いところだと辿り着けないかも知れません。
ここで言う、「お金を貯める」行為は、単体で見るとその目的地と何ら関係はありませんが、目標につなげるための大切なプロセスです。
理想、ここでいうなら「何時までにどういう形でたどり着くか」ということも自分の中で決めなければいけません。
そして、「現実」というモノが重くのしかかってくる訳です。
ここでいう「現実」というのは、自分を取り巻く環境です。
上記の3つ「目標・手段・理想」は言うなれば誰にでも得られるものであり、そして、純粋です。
ゲロやウンコ以下(たびたび失礼)の現実が当たり前のように蔓延することに疲れてしまうことも多いでしょう。その他、人それぞれ取り巻く環境にはその人個人固有のの「現実」があります。
僕は、目標や理想を持つことは素晴らしいと思うし、自分自身の自己実現のために本当に必要なのは、自分自身でこの現実を跳ね返す力だと思います。
僕にも、個人ではどうしようもない「現実」がありますし、その「現実」を跳ね返すことで、何とか心が折れず、今の環境に持って来れたと思うので、この「現実」は忌み嫌うものではなく、常に感謝しています。
もちろん、このまま自分目標に対し、邁進することを続けようと思いますが、その途中でいつの間にかカタチが変わってきたとしても、それはそれで自分のやってきたことの蓄積と結果だと思うように、それくらい心に余裕は持っていたいものです。
大切なのは、自分の環境に対し文句を言わず、腐らず、常に肯定的に受け入れ、たくさんの視野を持ち、常にどうすればいいかを考えることだと思います。あと、失敗を恐れない気持ち(これが一番難しいんだよ)。
ま、当たり前のことですし、僕は聖人でもなんでもないので、あくまで自分の考えですけどね。
でも、ある人の問いに対する答えでもあります。