梅雨、本当にいやですね。九州の大雨が心配です。この年齢になってくると、日本各地に知り合いが増えるので、Twitterなどでその近況などを知るきっかけも多い。

日本の災害に関する考え方は、本当に次の次元に行かないといけなくなってくるのかもしれません。問題は山積みですね。

さてさて、タイトルの本ですが、コロナ禍でリモートワークの推進が始まり、群れを成すことで社会性を保ってきた空気の読めるお行儀の良い日本人には試練が訪れました。

もちろん、そもそも孤独が好きな人も多いし、趣味人だと好きな音楽聴きながら自分のペースで働ける人も多いので、歓迎している人も多いのではないでしょうか。

「ひとりぼっち」こそが最高の生存戦略である/名越康文 著

読了。個人的には、彼のYouTubeチャンネルを移動中の友にするほどのファンなのですが、精神科医として多くの人の悩みや現代の病と向き合ってきた名越さんの名著です。

個人的には、引きこもりの何がいけないのか。と思っていたので、俺は全引きこもりの味方です。笑

そもそも、人はなぜ群れるのか、コロナや非常事態宣言、自粛自粛の中でも何度も考えさせられた。

もちろん、ライブやコミケなど、人が多く集まるところに行くこともあろう。それはむしろ群れとは違う。一緒にいてもひとりぼっちなのだ(少なくとも俺がライブに行った時はそうだ)

本書は、サピエンス全史に多大なる影響を受けた著者であるが、俺も人生観変わったくらい影響を受けた。

そもそもなぜ人と一緒にいないといけないのか

群れという概念であるが、同一種の生物の個体多数からなる集団である。 まれに複数種を含む集団を指す場合もある。動物で言えばせいぜい一つの群は150匹くらいのものである。あ、イワシとかはもっと多いか。まぁ少なくとも、社会というものがあって、少なくとも思考がある生き物に限ったらそんな程度ではないだろうか。

日本人においても、多分江戸時代以前は、一つの村に生まれて死ぬまで、せいぜい500人くらいとあったりするくらいだったのではないだろうか。

世界的に見ても、他の部族と交わるということはリスクもあり、婚姻など単に人間生活の営み以上の意味をもち、他者と交わることは社会を形成していく上で、歴史的にも文化的にも人類学的にも大きな意味を持つ。

ところが今はどうだろう。SNSなどバーチャルな人との出会いなども入れると、一体何人の人と出会うのだろうか。袖触れ合うのも多少の縁とか言ってったら、縁で人生終わってしまう。

友達100人できるかな

俺は、特に普通の学校生活を送ってきたつもりだったが、よくよく振り返ってみると、クラスメイトの顔と名前が一致しないことがままあった。(今もあるが)

学校で呪文のように歌わされた、友達100人できるかな。・・・・いや無理やとずっと思ってた。友達100人できない自分はダメな人間なんやと思ったほどだ。

学校という今の自我が目覚めた日本人が初めに対峙する社会は、半ば特に確固たる裏付けがあるわけでもなく、集団で生活をすることを強要する。

そんなもん、集団が馴染めない人が出てくるのも無理のない話である。

社会に出る歳になると、会社、仕事など、年齢を問わずさらに大きな群れに属するような強制的な仕組みが待ち受けている。100人友達いない側からすると絶望でしかない。

そもそも、誰だこの仕組みを作ったやつは!出てこい!!!!

要するにこの本が言いたいことは

独りの時間を充実させられれば、人生豊かになるぜ!

ってことである。別に群れないことを推奨しているわけでも、群れることを悪いと言っているわけでもない。引きこもりの中の人には、群れに対して強烈な嫌悪感を感じる人もいるであろう。

人は、親であれ友達であれ、他人に人生を左右されすぎだと。

協調性とか、社会性とか、KYとか、それってあくまでも、誰かが作った健全な社会性を保つためのルールであり、絶対的なものではない。ルールを守れない人が悪いという世の流れは些か問題が多いと思う。

学校でも、職場でも、他人が思うように動かないことにイライラし、失望すること。それは誰の考えですか?あなたが勝手に思っていることですよね。自分をもっと大切にすることで、他者にもっと思いやりを保てたりしますよ。自分を大切にするということは、「ひとりぼっち」=SOLO TIME を大切にすることから始めましょう。ということです。

群れとか集団とか社会とかリア充がどうこうの前に、どういう人にだって思いやりを持てるということは大事であると思う。思いやりってなんだろう。ありがた迷惑な期待の押し付けではない本当の思いやりって。それと向き合うことは、アドラー心理学でもいう、課題の分離にも近い。その気持ちは誰に向いているのか。

すごく毒のあることを言うと

この世の中は、いわゆるエリートと言われる人たちが作っている。エリートとは一般的に、高学歴や良い会社に勤めていて、云々。そう、それがエリートだ。俺には程遠い。

要は、学校も1クラス何人にしましょう、ルールはこうしましょう、社会に必要な人はこうしましょう、経済はこのように回しましょう。とエリートが決めていることがまま多い。

あえて断っておくが、これがエリートバッシングでも自分を卑下したいわけではない。

俺がこの本を読んで、一番共感したのは

人の作ったルールでお前はお前の人生を棒に振るのか

ということです。

社会の仕組みが錯覚させ、本来持っているその人のポテンシャルが、ひとりぼっち思考で真面目であれば真面目であるほど、その価値観に翻弄される。

小中高と一貫した進学校で、名だたる大学に行き、社会に出ては先輩後輩、肩を組んで校歌を熱唱。その人が作っているルールに翻弄されてはいけない。

くどいが、俺はエリートをバッシングしたいのではない。

他人の価値観に囚われるな。どんどん引き籠れ。ほんまに好きなことをしろ。と思う。

ただ、やはり社会は社会だし、ルールを無視して生きても、損することも多い。まずは自分を大事にし、社会には参加しよう。自分を失わないように、他人に期待しないように。

選挙も行くべきだし、税金だって納めるべきだ。

犯罪はいけない。でも犯罪者に石を投げる権利は誰にもない。法が裁く。それが社会だ。

と、まぁ、そういう物事を「怒り」を持たずに冷静にみることができますよ。って本でした。

後半は、瞑想とかスピリチュアルな内容ですが、前半の「じゃあどうあって怒りを払うか」というところに共感できれば、すごく良い瞑想や自分を落ち着けるためのエクササイズになることがたくさん書いてます。

人はいかに「怒り」に支配され、心にもない言葉を放ってしまう業の深い存在である。

まずは怒らない。機嫌悪くならない。でもなかなかできない。でもちょっとずつみんながそうなれるようになれば良いなと思います。

人と会うことの素晴らしさ

この本を読んで、おっしゃ、引きこもろう!とは思わないと思うんですが、人と会うことは本当に素晴らしいと思います。

あなたにも会いたい人が何人かいると思います。本当に本当に会いたい人。

そういう人には、たまにでいいから会うべき。
また会社や仕事の仲間と楽しく集まることもすごく大事。

なぜなら、先の思いやりを持てたり、人に期待しない感情をコントロールできるようになると、本当に人生が豊かになります。それを否定する人は自分に嘘をついていますね。

毎日でなくていいよ。でも毎日一緒にいたい人がいることは素晴らしいよね。もし毎日一緒にいることが辛いなら、冷静に話せて一緒に解決できれば最高ですよね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

や、まじ、この本オススメなんで!!!!