─1週飛ばしましたね

すみません

──忙しかったのですか?

いいえ、ネタがなかったのです。笑

──なるほど。今回は「アート」についてです

最近、よく聞くワードだね。

アートを深く語れるかどうかはわからないけど、人のアート感って興味あるのかな。個人的には、ものすごくロジカルに考えていることなので、あまり強要するようなものじゃないと思うけど、ひとまず、アートは「行き止まり」なんだと思う。

──いきなりめちゃくちゃ抽象的ですね。笑

実用性のないものとも言える。というか、アートは実用性がないものというわけではなく、実用性がないものがアートなんだと思う。

さぁアートを作ろう!と思ってできることではなく、行き着いた先がアートなんだと思うので、アーティストという肩書きすら、俺は本当は存在しちゃいけないんだと思う。

肩書きっていうか、そうなっちゃうんだよねー!って意味でのアーティストというのは分かる。

──つ、つまりどういうことですか?

ひとつは、さっきも言った行き止まり。これ以上答えのないもの。物理的な限界はあるだろうけれど語れない。形容できない。そんなもんなくたっていい。そういう感情の行き着く先がアートなのかなと。

ふたつめは違和感。

人間は習慣の生き物だから、目に見えるものを全て理解しようとする。もちろん全ては理解することはできない。でも、あ、これは危険だから回避しよう、あ、これは気分が悪くなるやつだから無視しよう、これはよく分からないから放っておこうというのもある種理解の一部で、なにかに対峙したとき、なにかしらの感情を持って次に行動できる。アートは行き止まりだから動けない。あれ?なんだこれ?一体これはなんなんだ?という感情が恐怖や驚きであったとしても、答えは世の中にないので、自分の中で答えを出さないといけない。

俺は、アートを飾るという行為は、違和感と生活をともにすることなのかなと思っている。

みっつめは犯罪じゃない犯罪。

──犯罪???

これは、犯罪って言葉が適切なのかどうかわからないけど、やってはいけないことをやっていい領域というのかな。例えば、表現として人を殺すだったり、火をつけるだったりは実際にそれをやっているわけではないから、犯罪じゃないでしょ。

──なるほど。な、なるほどなんですかね?笑

アートの価値って、アート自体に価値があると勘違いされてるような気がするんだよね。例えば残酷な絵が好きだったとしても、その人が残酷なわけでは決してない。

また残酷だからといってどんな理由を持ってきても、そのアート自体を否定はできない。犯罪というのは、あくまでも世間の価値観であってそれに反することを行ってはいけないけど、表現することには罪はない。まぁ非難はされるだろうけど、それは少し決めつけが過ぎていて、価値かどうかを判断することではなく、ひょっとしたらこういう価値があるんじゃなかろうかと自分自身が発見するきっかけだったりもするから、これを罪だとすると、過去人間の歴史でもあったように、間違った歴史として証明されている。もちろん、それ自体をほったらかしにすることもよくない。時と場合によっては社会の中で議論が行われる必要があっていいものなんだと思う。

作品自体が罪ではないのだから。

──確かに、人は知らないものを否定しがちですもんね

宗教的な歴史でも、神への冒涜だ、問題のある発想だと処刑さる時期もあった。でも、その中でも表現に果敢に挑戦してきた人たちがいて今の世界がある。

──そうすると、アートの価値ってなんなんでしょう?

アート自体に価値があるのではなく、その解釈に価値があるのではないかな。

だってその価値を決めるのは、有名なギャラリストだったり批評家だったりするわけでしょう?

──確かに

さっきも言ったように、アートの中に価値があるのではないんだと俺は思っている。

まぁそこで大事なのは、そこから何かを知る、学ぶ、活かすということなんだろうし、でもその大事なことは価値にできない。

昨今、アートというワードがよく聞かれるのは、規格外の考えを持とう、イノベーションだなんだっていうのが大事なんだとなんとなく思っている人が多い、もしくは、世の中に行き止まり感、違和感が蔓延しているので、社会全体がそういうものから目を背けなくなってきていて、なにかしら答えを出すために行動として無意識のうちに現れてきているのかな。

──芸術や美学という観点ではどうなんでしょう?

学問としての意味だよね。それは立ち向かった結果、こうだと思う、こういう傾向がある、という情報の積み重ねだと思うので、知っていて損はないし、そういう蓄積が役に立つことは大いにありうる。

今日なんの服を着ようかなと思った時に、漠然と答えがあったとしても、そう言った情報を起点に行動に移せることがあるし、何よりアートを「そういうもんだ」という半ば諦めのような感覚で捉えることで新しい答えだって見つかるかも知れない。

──確かに今日のお話は、断定調ではなく~だと思うとか、かも知れないとかが多いですね

あんまり語りたくはないよね。だって明日にはその考えすら変わってしまうかも知れないのがアートだから。笑

──好きなアーティストはいるんですか?

サルヴァドール・ダリ。

──ダリ!

好きな理由を挙げるのが難しいし、好きなのかすらもはや分からないけど、昔、東京の上野美術館で回顧展に行ったときに、最後の最後で涙が溢れてきて止まらなかった。

──感動したんですか?

分からない。今になって思うのは、一気に自分の孤独が襲ってきたような気がして、不安になった。でも立ち向かう前に全力で向き合っている作品を見て自分のしょぼさを思い知ったような気がする。

──どんな作品だったんですか?

確かダリの奥さんのガラの絵だったと思う。すごく大きくて、全てが崩壊しているような世界の中でも、奥さんはしっかりと描き留められていて、なんかそんな感じ。

──あっさり。笑

そんなもんだよ。

──少し戻ってアートの価値というものにはどう思うのですか?

誰々の作品が何億でって話だよね?

別に特になんとも思わない。欲しい人が買えばいいんじゃない?

価値ということで言えば、それが資産になったりとか、投機的目的というのでは、もはやアートとはなんの関係もなく、そのバックグラウンドの話だから、その分野での判断になるよね。お金を増やしたかった時に、その作品を買うことで将来価値が上がったら売ろうとか、現金で持ってると税金かかっちゃうからモノにして持っておこうとか。

──それはそうですね。では、アーティストとして生きる人たちにとって、アートの価値とはなんでしょう?

うーん。申し訳ないけど、お金を得る手段としてアートを作るのであれば、それは目的が違うので、そもそもアートだとは思わない。誤解しないで欲しいんだけど、だからと言って価値がないわけではない。俺も昔は違う考え方だったし、でも、何かに囚われるというのはアートを作る人にとって決していい環境だとは思わない。

望まれて作品を描くことが全てではないにしろ、ほぼ商業アーティストは、日銭を稼ぐためにアートを作成しているのだろうけれど、それは本質的には作品を作っているわけではなく、能力を切り売りしてお金に変えている側面が強いと思う。それを分かっていてやっている分にはなんの問題もないし、だからと言って作品を売るなとも思わない。

それを明確には答えられないけど、でもなんだか作っちゃうものがアートであって、やっぱりアートは行き止まりという言葉が一番しっくり来るんだけど。

──アートはそれ自体が目的であるということですね

まぁでも色んな人が居るからね。俺がこうやってこうだということ自体、それに反しているわけだし。笑

──では、これからアートの世界はどうなっていくと思いますか?

アートの世界という点では、色んな要素があって、アート単体ってことはあり得ないだろうから、社会全体で考えると、世界がテクノロジーの発展で色んなものが明確になった気になってきているから、新しい回答の探求という点ではよりインパクトの強い作品が増えるんじゃないかなと思う。

なにも絵が強い、作品が強いということだけではなく、有名無名を問わず、誰が描いたか、なぜ描いたか、もはやそれは作品なのかというくらいの変化をしていくんじゃないかな。わかんないけど。笑

──全然わかりません。笑

俺も分かんないよ。もう少し掘り下げていくと答えがない世の中は、哲学の強い世の中なんだと思う。現代アートもそうだけど、社会全体が成熟して裕福だから、それを斜に構えて、とか、裏側を見ようとするようなアプローチが多いように、それをもっと拡張した感じ。

だいとうするのがデジタル的な要素だったり、その向こう側。もはや物体ですらない世界だから、それすら信用していいのかどうかすら分からない。でも、人間は気づくんだと思う。違和感に。

──NFTアートなんかも盛り上がってますよね

それもその一部なんだろうね。

結局は既成概念に挑戦するわけだから、NFTはアートじゃないどうたら言ってる時点で、その現象こそがアートだなぁとすら思う。

本当に、世の中にないものができていくんだy。そういう意味では、それはアートでしかないし得ない、人間が何万年もの歴史で証明している。

──確かに

コンセプトアートなんて、「概念芸術」だよ。

──直訳したらそうですね。笑

ただ、やはりなにも思わない人は思わないので、それこそ人間の感受性や経験、知識、そういったものに依ったモノであることには変わりないんだろうなぁ。

──今注目しているアートはありますか?

アートかどうか分からないけど、AI、人工知能だね。

──AIが絵を描くとかいうやつですか?

それもあるけど、人工知能こそ、人間の既成概念との戦いだと思うんだ。

アートという点ではまだまだ距離は遠いかも知れないけどね。

──アートとの距離が遠い?

うん。アートは本来存在自体はなんのリスクもないけど、それは人間の領域で見たところでの話だから。人工知能は人の能力を超えてしまうかも知れない。というか、間違いなく超えるんだろうけど、そうなった場合、フィールドがうつってしまう可能性だってあるよね。

──もはやなにを言っているか分からないです

無駄を楽しむ余地が人工知能にあるのか。これは全く想像ができない。俺が生きているうちに見れるかどうかも分からない。そういうものを見たい気がする。

──気がする。デスカ?

結局自分は自分自身を切り離せないので、意識レベルの領域でしか理解はできない。その中で楽しむことがアートなんだとすると、ひょっとすると俺の言っていることはもはやアートではないのかも知れないけどね。

──こちらからすると、もうその考えが意味不明でアートです

でもまだ行き止まってないよ!笑