文字っツラではピンとこないが、責任感が強く完璧主義の人が陥りやすい状況に対し有効であると説くのがアルフレッド・アドラーさん。

人がやるべき領域に踏み込んで、ああだこうだ指示する、できていないとイライラする、あぁ耳が痛い。かくいう私も悩める子羊でした。

「このことは誰の課題なのか」そのファイリングをうまくできるようになることで、責任感が強くとも完璧主義でも、もっと自分の思うようになるんです。

じゃあ、どうやって、その「課題」が「誰のものであるか」を見分けるのか。

ポイントは、「それを成功させることにおいて誰に利益があることなのか」です。

仕事において、「部下の成績」は、「部下の利益」であり、「部下の頑張りによって上がるあなたの評価」は、「別の課題」ということ。それならば、部下がより頑張れる環境を作ってあげるほうがいいですよね。って話。

それは放任とは違って、関わり方を変えるということ。

「馬を水辺に連れて行けるけれども、水を飲むのかどうかは馬次第」

自分自身、自分のやることで世の中を良くしたい思いはあるけれど、この課題の分離をうまくできないと、単に期待して単に裏切られて単に悩んで単に苦しむ、「単なる独り相撲」になってしまう。

仕事の部下であっても、自分の子供であっても、課題を切り分けず介入するということは、支配欲でしかありません。愛情と支配欲。気付いたら表裏一体だった。おぉ、単なるホラーでしかない。

さてさて、コロナで世の中の人の本性が色々露わになりました。

本当に大切なものに気付くにはここからかもしれません。

俺は、コロナ以前からの課題は何も変わっていません。信じることも課題の分離です。信じるという行為も自分の課題です。信じられなかった、希望通り行かなかったからと言ってなお、信じることができるか。

自己啓発が強すぎて、スピリチュアル伊丹谷状態です。

クリエイティブ的にいうと

クリエイティブを提供すること、この課題の分離は非常に密接に関わる気がします。そもそも、アートに限らず、音楽、お笑い、作家、クリエイティブな分野は、サービス精神が強う人が多い稀有高があると思います。

こういう人のために自分がいる。さぁはたしてその課題は切り分けられているのか。本当にどうなりたいのか。非常にシンプルだけど深く果てしない課題です。

でも、誰かが困っていたら助けてあげましょう。課題の切り分けってっ言って放置しないように。

誰かを助ける。その人を援助してあげる。その人が依存しないように、相手の能力を信じて。今日はスピリチュアルで進み続けます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。(よくある締め)