当初2020年の5月に予定され、2021年の8月に延期されていた 岡村靖幸 2020 Spring ツアー が中止され、2021年5月に 2021 Spring ツアー の開催が決定した。

前回のツアーは、全公演払い戻し。価格は ¥8,700 だった。今回のツアーは ¥12,000 に値上げ。

会場もソーシャルディスタンス確保と入場者数制限のため、会場の50%以下の動員で開催される。(制限が緩和されても

そうなった経緯はオフィシャルウェブサイトに記載されている。

中止は非常に残念だが、新公演の開催にあたり非常にワクワクした。主催者の覚悟が垣間見える。

何よりファンが安心する。そう思える内容だったと思う。(俺自身はファンクラブにも入っていないので、ファンの感想はわからないが)

先日も、緊急事態うんたらの宣言を検討うんたらとニュースで出ていたが、もはや国民は振り回されていることに慣れすぎて、おそらくいうことを訊かなくなっている。

こういう時はいつも、日本は民主主義という素晴らしい仕組みがあるものの、そもそもがそれ自体他国に与えられたものであるが故に、ポテンシャルの発揮がしにくい社会構造だなと。

まぁそんなことはいいんですよ。

何が言いたいかというと、やっぱり「こうだ!」と方向を指し示す、断言してあげることは、ファンを安心させることにつながる。

もちろん、反対意見もあるだろう。すべての人を満足させることはできない。

いやいや、そもそもその考え自体が傲慢であるとすら思う。

年末年始、上岡龍太郎氏の動画を見漁っていた。
芸能界を引退し早20年以上経過。引退宣言時のアンケートでも2年以内に戻ってくると断言されていた。

上岡龍太郎の動画にもあったのだが、世の中のことに自信を持って言い切れることはなかなかない。テレビやラジオ(今ならYouTubeなど)も「〜したいと思います」という言い回しを多く聞くが、この後にそうなることに決まっているのに、「〜したいと思います」は観ている側、聴いている側に不安を与える。

このあと、自粛要請をするのが決まっているのに、「自粛要請したいと思います」では、結局のところ、「自粛要請という民意を汲んでそうすることにします。するかしないかはあなた次第です」と、要請を受ける側に考える余地を残す。そうした場合、「受ける、受けない」の選択肢を無意識のうちに与えてしまう。その選択肢を受けて判断を迫られると、判断を下した自分に責任を感じてしまう。正しいことなんか分からないので、人は迷っちゃうよね。

こういった場合、「自粛要請します」でいいんじゃないかな。することは決まってるんだし。

この話題は「話術」の話なので、特措法や補償・罰則の話は置いておいて、断定することの大切さ、必要性は、それを話す人の責任、覚悟にあると思う。(←この「思う」はいいんですよ)

そもそも、民主主義は実権が国民にあることを意味するので、国民が国やメディアに期待しすぎている、過大評価しているという点はあるが。

話が逸れたが、年末年始に見ていた動画で「そう!それ!」と思ったことが、年始早々岡村靖幸のツアーの件で図らずも再実感されたという話でした。

世にリーダーが求められる。とはよくいうが、その通りだし、それと同時にリーダーに従うチーム構造も非常に大事だなと思った次第でした。自戒を込めて。

エンタメ業界、色々と厳しい側面もあると思いますが、この英断、いや本音では当たり前の決断は必ず新しい可能性につながると思います。そもそも日本のショウのチケット代は安すぎると常々思っていました。大枚叩いてこそのショウなので、アーティストも真剣になれる環境は必須。高い安いが世間の物差しで測られるものではなく、そのアーティストのポテンシャルが発揮できるか否かで決められるものであって欲しい。

USJが興味ない人にとって、チケット価格が興味を持つきっかけになることはないのと一緒で、エンタメなんか行きたい人しか行かないんだから。

近頃の拝金主義にはほとほと嫌気がさします。

それでは、岡村靖幸の「操」聴いてください。大変素晴らしい作品です。