どもども、最近ありがたいことにボランティア関連のお仕事に関わらさせていただく機会も多く、失礼ながら個人的にあんまり興味のなかった分野なんだけども、いざ知ってみると、深い深い業界で、そこで働いておられる方々のお考えや、それをもとに展開するサービス(?というと語弊があるが)も、「そうなんだ」と感銘、週刊そうなんだマガジン状態であります。
http://www.minsai.org/
ボランティアという考え方、個人的には人それぞれの考え方があるかと思いますし、きれいごとと揶揄される側面もあるかとは思います。
被災地に千羽鶴を送ったって、そりゃ現地の人からすると、ただのゴミかも知れないけど、作った人の被災地を思う気持ちは、嘘偽りのない気持ちだと思います。その気持ちが届き、正しく伝わり、喜んでくれたのなら、立派なことです。
でも、どーにもこうにも、事柄に対し、杓子定規なのがいけない。
まずは知ることが大事なんだなと。
身の丈に合わない支援なんて、する必要もないと思うし、でも自分が究極に困っていたら、身を切った支援を心からありがたいとも思うだろうし。
大御所が以下にたくさん集まって、「私たちの世界」と歌ってもらっても、嬉しくとも何ともないかもしれません。
先進国故の欺瞞なのかもしれませんが、足ることを知るということにも気づかされますし、実際、お仕事として関わらさせていただき、報酬もいただいておりますが、結果、この仕事を通して、 たくさんの人に知っていただき、意味のある善意が奨学金として使われることを、切に願って制作させていただいただきました。
まず、できれば興味のない人に見ていただければ、これ幸いかと。
そして、感じたことをありのままに受け取ってもらえたら、と思います。
正直、俺はボランティアに興味がありませんでした。
興味がないというより、知らなかったことが、そもそもだと思いますが、少し知ったことで、興味の対象にはなりました。
話は変わって先日、祖母のお見舞いに行きました。
正直、遠いし面倒だという気持ちが多々あり、行こう行こうとは思っても行動に移せませんでした。
実際に顔を合わせた祖母は満面の笑みで、自分はなんて些細なことで、行動に移せなかったのかと、思いっきり恥じました。
自分の頭ん中で、心配がって、知っているような気になってばかりいました。
でも、100%の笑顔で、祖母は孫の顔を見れたことを喜んでくれました。
まぁ、他愛もない話かもしれませんが、俺が言いたいのは、 「知ること」が変わることへの近道ということです。